チベットのラサからバスと舟とトラックを乗り継ぎ、サムイエという町に行った。
泊まった宿のトイレは屋上にあった。男女の区別もなく、壁もない。た
だ、穴が2つならんで開いているだけのトイレだった。遥か下のほうにクソダメがあるおかげで臭くない。おびただしい数の星を見ながらクソをするのは気分がいい。
ラサから一緒に来た日本人のオガワさんと、チンプーという村だか寺だかを目指そうという話になった。
チンプーがどんなところかは全く知らないのだが、ラサで会った旅人が「いい所で、ただで泊まれるところだ」というので、とりあえず行ってみようということになったのだ。
6時に起床。近くの小川で顔を洗いチンプーを目指す。村の犬達がおもしろがって5匹ほどついて来た。日本人2人と野良犬5匹の旅だ。犬達はてんでばらばらに鳥やノウサギを追いかけながらついてくる。草原を抜け、砂漠のような所を抜け、山岳地帯を抜けたあたりで、遠くに村が見えた。腹が減っていたので、立ち寄ることにした。出発から6時間ほどたっていた。そろそろチンプーに着いても良い時間だった。
村の手前で羊飼
いに会った。オガワさんは中国語ができるので、「チンプーへはどっちだ」と聞いてくれた。
男はしばらく驚いた後「チンプーはあの山の向こうだ。行くならサムイエによってからだな。」と答えた。どうやら、道を間違えていたようだ。ショックだったが、男が「この先の村には飯を食う所がある」と言ったことが救いだった。サムイエを出てから途中に民家が一軒あっただけで、塩茶(塩味の茶。他にバター茶というのあるが、これも塩辛い)をご馳走になった以外は食事をしていない。いずれにせよ、何かを食べなければ、この後行動できないほど空腹だった。
10軒ほど民家がある小さな村だった。田舎だなあと思ったサムイエも、この村から見れば、大きな町だ。人の数より動物の数のほうが圧倒的に多い。近くにいる女性にメシ屋があるかと聞くと「ない」という答え。(あれ?)それでも、この女性は家に招き入れてくれ、パンのようなものを出してくれた。素朴で悪くない味だ。先ほどの羊飼いは中国語が話せたが、このあたりでは、基本的にチベット語しか通じないらしく、ジェスチャーでの会話(会話ってほどではないが)になる。外貨兌換券で1元をお礼に渡そうとすると、兌換券を見たことがないらしく、しばし眺めて「いらない」と言う。「人民幣の方が良い」というのだ。
中国では、普通に中国人に流通している人民幣(レンミンピー)と、ドルとか円を両替した時にもらえる外貨兌換券(ワイホイ)という2種類の紙幣が流通している。どの町でも普通にどちらの紙幣も使うことができるのだが、外国人があまりこないところでは、兌換券の存在を知らないことがあるのだ。
村で働いている女たちをしばらく見ていた。歌を歌いながら、農作業をしている。収穫の時期なのだろうか、どの顔も生き生きとしている。カメラを向けると、ちょっとまってくれと言って、ワラ束やら、鉢植えやらを抱えてきて、髪を直し、ポーズをとった。近くにいた子供達が、俺達もとってくれと、集まってきた。
何もない村だった。テレビもラジオも電話も洗面台も。電気すらなかったかもしれない。娯楽施設なんて当然ない。なんもないこの村は、優しく温かい笑顔に満ち溢れていた。
結局チンプーまで行けず、同じ道をへとへとになりサムイエに帰りついた。うどん2杯と飯と炒め物とビールをあっという間に平らげた。ともに旅をした犬にもうどんと水をやったが、こちらもあっというまに平らげていた。
往復12時間。40kmの道のりだった。
数ヵ月後に帰国し、新宿駅の朝のラッシュを見た。上り電車のホームには灰色のスーツを着た男達が、大勢立っていた。下りホームからみた男達の顔は、どの顔も一様に疲れきっているように見えた。この顔は、帰りにはもっと疲れているのだろうか。電車が来て、灰色の男達は、乗客定員を遥かに越えた客車に押し込められて、去っていった。電車が走り去っても、ホームはあっという間に大勢の灰色の男達で溢れた。電車が来て、男達が乗り込み、また電車が来て、男達が乗り込む。それは、テープの終わりと頭をつなげてしまった映像のように見えた。
気が付くと私は、その灰色の男達の顔と、あのチベットの女たちの顔を比べていた。歌を歌い、冗談を言い合いながら麦の束を作っていたあの人たちは、豊かだったなあと考えていた。